父が亡くなってから知ったのですが私の家紋は丸梅鉢でして
菅原道真公を祀っている天満宮と同じだったみたいです
(今住んでいるこの街の氏神も、生まれた場所の産土神も意図せず天満天神社で菅原道真公です
子供の頃も何も知らずに天神社で遊んでいたり七五三のお祝いも天満宮で行われてました)
天満宮のシンボルは「梅」と「牛」
梅の花言葉は「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」です♪
菅原道真公(845年8月1日~903年3月26日享年59)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家で
学問の神様として有名で寺小屋で祀られていたり(江戸時代に、寺子屋で流布した『天神経』では、実道権現と号されました)
戦国武将の前田利家公や息子(養子)の利益(慶次)公も梅鉢の家紋です
前田利家公は菅原道真公の子孫だと自称していたそうです
※私の父は岩手県生まれで岩手出身、母が聴いた話によると牛小屋で産まれたみたいです
亡くなった父のお墓は面白いことに意図せず梅花の郷という場所にあります
最近ではフィクションではありますが、漫画やアニメになっています
呪術廻戦の五条悟と乙骨憂太が菅原道真公の子孫として描かれています
そして 貫牛(かんぎゅう)という巨大な黒い牛の式神も登場します
釈迦(仏陀)の本名:ガウタマ・シッダールタ(シャカはシャカ族の)
ガウタマ(ゴータマ)は名字で、「もっともすぐれた牛」という意味
名前のシッダールタは「目的がかなえられた」「全てのことが皆成就した」という意味
菅原道真公は天神様とも呼ばれ、梅干しの種の中にある実のことを天神様と呼びます
詳しくはこちらのサイトが分かりやすいです
またわらべ歌の「通りゃんせ」の歌詞に出てくる天神様も菅原道真公のことを指しています
天満宮は何の神様か?
文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました
主に学業・豊穣の神として祀られてるが、多種多様な面で信仰されています
仏教の大自在天(大威徳明王)はヒンドゥー教の最強神シヴァ神で破壊と再生の神様です(牛を乗り物としてます)
※バイラヴァとは、インド神話の主神の一柱であるシヴァ神の最も強暴な面「バイラヴァ」のこと
大自在天もまた牛に乗った姿で描かれています
※詳しくは本地垂迹や神仏習合を調べてみてください
道真公は、学問だけでなく武芸にも秀でていたことから、武神としても信仰され、
または、冤罪を晴らす神、極楽往生、海難除け(渡唐天神伝説による)、怨敵調伏、戦勝祈願、王城・国家鎮護(三十番神)、鬼門(天満宮は、主に鬼門の方角に建てられた)
・魔封じ(北野天満宮には、武運や刀工技術向上の他に、魔剣や妖刀を封じるために、約80振もの御神刀が奉納されている)
また、天神人形(雛人形、五月人形など)が広まることにより、子供の守り神としての風習的な面が強くなっていった)
誓約神(御成敗式目で、順守の誓紙に掲げられた神仏の一柱)
など
北野天満宮は阿国歌舞伎発祥の地の一つとして伝わる
歌舞伎の元祖とされる出雲阿国一座は、北野天満宮に歌舞伎を奉納し、また、天満宮境内に歌舞伎小屋を建て興行していたという興行は満員御礼の大成功をおさめ、阿国は「天下一」の称号を確固たるものにしたという
摂関家(特に藤原氏)には摂籙神として信仰されました
人柄
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詩作にも官能的で優美な表現を取り入れており、宮廷詩では美人舞妓の踊り乱れた姿や、髪・肌・汗・香・化粧・衣などの様子を詩で仔細に鮮やかに表現しています
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ただし、常に浮かれていたわけではなく、特に盛り上がっている宴会のみで、普段の宴会では謹厳な態度を守り、自分の言行を抑える、というように二つの顔を使い分けていたといいます
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子煩悩で子供に関しての詩を多く残しており、菅家文草「夢阿満」では、“阿満”という一番可愛がっていた子が亡くなると、神仏を恨み世界から天地がなくなった、と嘆くほど悲しんでいます
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しかし、最後に幼い阿満が三千世界に転生するときに迷わぬよう、観自在菩薩に祈っています
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根っからの詩人で、詩が思い浮かぶとすぐさまその場で口ずさみながら、周りの物に書き付けるほどでした
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自身の人生について、昔の栄達していたときは、世俗の煩わしさに縛られ窮屈だったが、今は罪を問われて左遷され、荒廃したあばら屋に閉じ込められた不自由な暮らし、と大宰府で述懐していまいた
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どんな大量の黄金も、父祖から代々伝わった学識には遠く及ばない、としています
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「一国丸ごと買い取ってしまいたい」と評するほど、越州国の風景を気に入っていたといいます
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家族や気の置けない友人達との語らい、馬で自然を駆け巡ることなどを好んだが、大量の行政文書をかたづけるなど仕事に忙殺されることだけは嫌っていました
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梅の花を好んだことで有名だが、桜花の美しさを「弥勒菩薩が悟りをひらくという龍華樹も遠く及ばない」と称え、
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菊の花も若い頃から栽培するほど好み、薔薇の美しさを、妖艶で人を虜にして惑わす妖魔と例えています
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これに、雪と月を加えた「雪月花」を好んだとされ、雪は女性の化粧や老人の白髪の表現に、月は美しさはさることながら、
正邪を照らしだす真澄鏡に例えたり、擬人化し「問秋月」「代月答」のように自己問答の形式で漢詩がつくられ、
月光を誰も知らない自身の心の奥底にある清廉潔白さを照らし出す光として 題材にされました
また丑年丑の日丑の刻生まれだったという伝承があり天満宮には牛の像が置かれています
・野見宿禰(のみのすくね)登美の大田彦について
また菅原道真公の祖先は相撲の神様の野見大田彦であるとされていて、古墳時代、野見宿禰は垂仁天皇の時代、埴輪制を創りだしたことからその子孫の土師氏は代々天皇の葬儀を司どることになったとされているみたいです
そのため相撲神社の野見宿禰神社の社紋も梅鉢
最期は播磨で食事に招かれた毒でヒボコ関係者に暗殺されたようです
※以下は今までの人生から得た主観的なお話です(個人的に色々不思議な体験をしてきましたが、私の主観なので信じなくてよいです)
人は主観から抜け出すことが出来ないため
自分がそう思い込めばそれが真実になります
例えば幼いころは10歳の人でもとても年上に見えますが自分が20歳になったときに10歳の人を見た時に数字的にはまったく同じ年齢なのに自分よりも幼く見えるようになるのも主観の世界だからです(もし客観であれば自分の年齢関係なくずっと同じように映るはずです)=自分自身の主観に合わせて世界が変化している
世界が5分前に出来たとしても誰もそうじゃないと証明できないし
眠る前の自分や相手が今の自分や相手と同じ人物かどうかもわからない
人がまったく同じ人生を辿れないということは人それぞれ真実は違うということです
主観的な真実で争い合うことは意味がないんです
他者と100%は理解し合うことが出来ない前提で違いを楽しめばいいのです
正しさも自分の立ち位置(見え方)で変わってしまうあやふやなもので絶対的な正しさなんてない
事実だと言われていることですら時代で変わることがあります
主観の世界である以上すべてはそういうあやふやで小さなことなので楽しんで生きれば良いんです
国や時代で変わってしまう価値観に囚われすぎないこと
社会は共同幻想で成り立っています
お金も実際はただの紙と金属でお互い価値があると信じ込んでいるので価値があるわけですし、国境なんかもそう決めたから成り立っているだけで囲いがあるわけでもない
赤道や日付変更線なんかもないですし、国もそう決めてそう思い込んでるから成り立っているだけで実際は個人の集まりでしかないです
時間も実際は今の連続でしかないです
変えることの出来ない過去は気にしないこと、まだ来てもいない未来を不安がらないこと、人が生きているのは常に今この時だけ
社会は分離することで比較・競争が生まれピラミッドが成り立っています
人類は遺伝子的に皆アフリカから始まっているということはわかってますし、誰だって良いことがあれば嬉しいし不幸があれば悲しいのはどの国の人々でも皆同じです
人生で大切なことはとてもシンプルで
・他者の人生の邪魔をせず主人公として生きること
だけです
自己憐憫、依存心(執着)、責任転嫁(他責思考)は主人公になる邪魔になることなのでしない方が良いということです
他者に期待しないこと、一時的に失望しても絶望はしないこと
あくまで人生を動かすのは自分自身
そうして生きていても悪いことも起こります
でないと芸術作品のようなドラマチックな人生にならないので自分でそう決めて生まれてきてます
(その後、体験する良いことのために悪いことが起こるということです)
そして最期は死という終わりを迎え芸術的な夢から醒め高次に帰ります
人に優劣をつける必要もないです、みんな得意なことが違うから助け合って生きていけるのですし
人類の成長のために大切なのはバランスです
そのため物質主義も必要だから存在していて
どちらかに極端に偏りすぎている状態がまずいというだけです
人生は主観なので他人は他人、自分は自分で良いのですが、
ただ自分(たち)さえ良ければ良いという考え(エゴ)は身を滅ぼすので注意が必要です
※現代でいう闇バイトや買い占め、転売等がそうですね
この世界には二元性があり、その二つの異なる力が反応し渦のようにらせん状に上昇していくイメージです
正の思念が祈り、負の思念が呪い(生霊)
神社やお寺等に正の残留思念が残り、心霊スポットや心霊物件等に負の残留思念が残っているということ
魂には性別はないのでそれを分けているのは子供を産むための肉体の違いと社会的なイメージだけです
ここからは現在、世界が物質主義に傾いてるので精神主義的なイメージのお話
神社や仏閣は我(エゴ)を抑えて、自分の中にある子供のように純粋な潜在意識(集合的無意識)=神の分御霊(神)=仏性(大日如来)=ハイヤーセルフ(ワンネス)=小宇宙(大宇宙)=魂(オーバーソウル)を再確認しに行く場所だと考えています
()内のものが12次元にあるとされるモナド(根源)=1
その上の13次元にあるとされるのが全ての可能性のソース=0
※意識は三次元的なものなので遺伝子の記憶に接続することが集合的無意識と言われている
お賽銭は物質主義を手放すための行為かと
我(エゴ)を捨てれば誰でも高次の自分の本体と繋がれるということ
繋がる肉体になる前に沖縄の巫女のユタでいう神ダーリが体に起こります(具体的には耳鳴りが頻繁に起こったり、片目が閉じたまま開かなくなったり等)
肉体はアバターであり、本体は意識の方にあります(生物は寝ている状態が本来の形であり,生命維持に必要なエネルギー確保のために起きてるだけです。脳を持たない生物も睡眠をとるのはそのためです)
なのでこの現実世界は仮想世界(夢)とも言えます
顕在意識は無意識が脳を利用して生み出している意識
自動書記等で現実世界のクラウド上にある高次(大宇宙)からアイデアを降ろし現実化することがニコラテスラの369の法則
それが魔法であったり霊能力・超能力・チャネリングだったりと呼ばれている(神や霊、天使、宇宙人等と姿の視えない存在が高次のものであるため)
簡単に言えばアカシックレコード的なものに繋がることによって得られる力
アイデアを得ることは出来ても
未来は確定していないので誰にも予言できないです(多次元宇宙の未来を降ろすだけです)
なので何時いつに何々が起こるといった予言は偶然のみでしか当たらないです
※もし未来が決まっているのであれば能力者は賭け事のみで生きているはずです
女性の方が直感右脳的で左脳的なエゴに囚われにくいので巫女や魔女等の多くが女性
なので神託(女性の直観で受け取った話)を理論左脳的に解釈できる男性が古代の日本ではペアになってきました
それを一人で出来る方は右左脳の持ち主みたいです
※右脳(直観)で受信して、左脳(理論的)に考えて発信する
今の時代だと左脳(物質主義)を抑え右脳を積極的に使うことによってバランスがとれ真ん中の松果体(第三の目、第6チャクラ、ホピ族でいうコパピ)が活性化します
※松果体が活性化している人は眉間の辺りが押されているような感覚を伴い、迷いがなくなるので勢いがでます
引き寄せの法則は自分軸で生き、精神的な豊かさに気付く法則であり物質的な豊かさを得るものではないです
物質的な豊かさにはキリがないですが精神的な豊かさに気付けば人は満たされます
精神的な豊かさを得るには自己犠牲にならないことで分け合うこと、助け合うこと、共有すること、感謝し合うこと
過去に起こったすべてのことは自分で選んで生れてきたことであり、そこに囚われたりする必要もないです
自分の宿命や運命はすでに決まっている(ブループリント)
この世界の未来は複合的な要因で変わるため、決まってはいない
もし決まっていたとするならアカシックレコードに繋がることが出来る人は賭け事のみで生きていけるだからです
自分にとって良いことも悪いこともすべては今の自分になるために必要なことだったと考え、どうすれば今を楽しく過ごせるかだけ考えればよいと思います
(もしそこに囚われるのであればそれもこれからの自分にとって必要なことだということです)
神社にご神鏡が置かれてるのは「かがみ」の真ん中の「が=我」を無くすことで皆自分の中の神「かみ」を確認できるということみたいです
人が生きてる目的はどうやら可能性や数値でしかないデータの実践データ(クオリア)収集するために生きてるようです(アカシックレコード的なを完全なものにするため)
=他者の人生の邪魔をしない方が良いということです
そして他者の人生に協力することが徳を積むということです
顕在意識+潜在意識=心
潜在意識+集合的無意識=無意識
高次のものが三次元に現れるために魂に性別がないにも関わらず男女で生まれてくるように二元性を伴う必要があるため
意識と無意識に分れる必要があったと推測
またどんなに精神的な豊かさに生きても外部が物質主義であるならそれは出雲国のように簡単に覆されます
人の心に善や悪の二元性がある限りは、そういう人たちは外敵がいなくなっても今度は内部(身内)に敵を見出すようになるので
大切なのは集団や他者への依存を止め、個の存在として生き
自己憐憫・責任転嫁せず自分の人生を主人公として責任を伴って生きていくことだと考えています
家族であっても他者と割り切り依存しないことです
自分を救えるのも自分の幸せが何かを知っているのも
自分のことを一番よく理解できるのも自分