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-菅原道真公について-
私の家紋は丸梅鉢でして、菅原道真公を祀っている天満宮と同じです(今住んでいるこの街の氏神様も菅原道真公[天神様]です)
神社や仏閣は自我(エゴ)を抑えて、自分の中にある子供のように純粋な無意識=神の分御霊=仏性(大日如来)=ハイヤーセルフ(ワンネス)を再確認しに行く場所だと考えています
お賽銭は物質主義を手放すための行為かと
神社にご神鏡が置かれてるのは「かがみ」の真ん中の「が=我」を取ることで皆自分の中の神を確認できるということみたいです
天満宮のシンボルは「梅」と「牛」
梅の花言葉は「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」です♪
菅原道真公(845年8月1日~903年3月26日享年59)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家で
学問の神様として有名で寺小屋で祀られていたり(江戸時代に、寺子屋で流布した『天神経』では、実道権現と号されました)
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc23/tpc/tpc_tera1.html
最近では和歌の神様でもあることが判明したようですhttps://news.yahoo.co.jp/articles/e2571a8a0388a188e9f7fa2b048018864362756d
戦国武将の前田利家公や息子(養子)の利益(慶次)公も梅鉢の家紋です
前田利家公は菅原道真公の子孫だと自称していたそうです
正室(875年~不詳)と娘の文献とお墓が岩手県一関市に残されています
※うちの父親は岩手県生まれで岩手県出身で母が聴いた話によると牛小屋で産まれたみたいです
亡くなった父のお墓は面白いことに梅花の郷という場所にあります
最近ではフィクションではありますが、漫画やアニメになっています
呪術廻戦の五条悟と乙骨憂太が菅原道真公の子孫として描かれています
そして 貫牛(かんぎゅう)という巨大な黒い牛の式神も登場します
菅原道真公は天神様とも呼ばれ、梅干しの種の中にある実のことを天神様と呼びます
詳しくはこちらのサイトが分かりやすいです
またわらべ歌の「通りゃんせ」の歌詞に出てくる天神様も菅原道真公のことを指しています
天満宮は何の神様か?
文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました
天満大自在天神(日本太政威徳天)としては
火雷天神、仏法神としても祀られています
主に学業・豊穣の神として祀られてるが、多種多様な面で信仰されています
仏教の大自在天(大威徳明王)はヒンドゥー教の最強神シヴァ神で破壊と再生の神様です(牛を乗り物としてます)
※バイラヴァとは、インド神話の主神の一柱であるシヴァ神の最も強暴な面「バイラヴァ」のこと
大自在天もまた牛に乗った姿で描かれています
天神は天満大自在天神・菅原道真公=(大自在天、大威徳明王=十一面観音菩薩、不動明王、釈迦金輪、薬師如来、愛染明王、慈恵大師、阿弥陀如来、毘沙門天、大聖歓喜天、弁財天、千手観音、大日如来、地蔵菩薩、文殊菩薩、観音菩薩)
大日如来=(天照大御神、日吉)
千手観音=(伊弉美尊、火之迦具土神、火牟須比命)
地蔵菩薩=(春日権現、岐の神・塞の神・道祖神・庚申信仰・猿田彦)
文殊菩薩=(山幸彦)の化身とされることもあります
※詳しくは本地垂迹や神仏習合を調べてみてください
道真公は、学問だけでなく武芸にも秀でていたことから、武神としても信仰され、
慈悲 / 正直・至誠 / 儒教・禅・忠義 / 和魂漢才・和魂洋才(これらの面は特に、高杉晋作・野村望東尼ら幕末の維新志士たちにより信仰された) / 和歌・連歌 / 芸能・茶道 / 馬術 / 厄除・病除 / 火除・雷除 / 書道・筆 / 長寿 / 交通安全 / 縁結び・縁切り / 商売 / 子宝の神、
または、冤罪を晴らす神、極楽往生、海難除け(渡唐天神伝説による)、怨敵調伏、戦勝祈願、王城・国家鎮護(三十番神)、鬼門(天満宮は、主に鬼門の方角に建てられた。)
・魔封じ(北野天満宮には、武運や刀工技術向上の他に、魔剣や妖刀を封じるために、約80振もの御神刀が奉納されている)
土地神、伽藍神、仏法守護、子供の守護神(江戸時代頃より、全国各地で寺子屋や、天神講が行われるようになり、
また、天神人形(雛人形、五月人形など)が広まることにより、子供の守り神としての風習的な面が強くなっていった)
誓約神(御成敗式目で、順守の誓紙に掲げられた神仏の一柱)
など
歌舞伎の元祖とされる出雲阿国一座は、北野天満宮に歌舞伎を奉納し、また、天満宮境内に歌舞伎小屋を建て興行していたという興行は満員御礼の大成功をおさめ、阿国は「天下一」の称号を確固たるものにしたという
人柄
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詩作にも官能的で優美な表現を取り入れており、宮廷詩では美人舞妓の踊り乱れた姿や、髪・肌・汗・香・化粧・衣などの様子を詩で仔細に鮮やかに表現しています
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ただし、常に浮かれていたわけではなく、特に盛り上がっている宴会のみで、普段の宴会では謹厳な態度を守り、自分の言行を抑える、というように二つの顔を使い分けていたといいます
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子煩悩で子供に関しての詩を多く残しており、菅家文草「夢阿満」では、“阿満”という一番可愛がっていた子が亡くなると、神仏を恨み世界から天地がなくなった、と嘆くほど悲しんでいます
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根っからの詩人で、詩が思い浮かぶとすぐさまその場で口ずさみながら、周りの物に書き付けるほどでした
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自身の人生について、昔の栄達していたときは、世俗の煩わしさに縛られ窮屈だったが、今は罪を問われて左遷され、荒廃したあばら屋に閉じ込められた不自由な暮らし、と大宰府で述懐していまいた
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どんな大量の黄金も、父祖から代々伝わった学識には遠く及ばない、としています
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「一国丸ごと買い取ってしまいたい」と評するほど、越州国の風景を気に入っていたといいます
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家族や気の置けない友人達との語らい、馬で自然を駆け巡ることなどを好んだが、大量の行政文書をかたづけるなど仕事に忙殺されることだけは嫌っていました
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菊の花も若い頃から栽培するほど好み、薔薇の美しさを、妖艶で人を虜にして惑わす妖魔と例えています
これに、雪と月を加えた「雪月花」を好んだとされ、雪は女性の化粧や老人の白髪の表現に、月は美しさはさることながら、
正邪を照らしだす真澄鏡に例えたり、擬人化し「問秋月」「代月答」のように自己問答の形式で漢詩がつくられ、
月光を誰も知らない自身の心の奥底にある清廉潔白さを照らし出す光として 題材にされました
また丑年丑の日丑の刻生まれだったという伝承があり天満宮には牛の像が置かれています
・野見宿禰(のみのすくね)について
すくね【宿禰】 とは
① 大化前代、貴人を親しみ尊んでいう敬称
② 古代の姓(かばね)の一つ。 天武天皇一三年(六八四)制定された八色(やくさ)の姓の第三位
また菅原道真公の祖先は相撲の神様の野見宿儺であるとされていて、古墳時代、野見宿禰は垂仁天皇の時代、埴輪制を創りだしたことからその子孫の土師氏は代々天皇の葬儀を司どることになったとされているみたいです
そのため相撲神社の野見宿禰神社の社紋も梅鉢
イザナギのモデル(クナト大神=久那戸神=神魂神(カミムスヒ)、イザナミのモデル(幸姫命=佐比売・幸売=八岐比売(やちまたひめ)=サイヒメ)、インドから日本にきた縄文のルーツ、クナト王とアラハバキ[サイヒメ?])
※アイヌ語で男性女性のシンボルがそれぞれ、クナト、アラハバキ
Wikipedia「アラハバキ」
<時系列>
元々日本列島に住んでいたアニミズム信仰の人々にインダス文明のクナト王たちドラヴィダ族(出雲王国)が加わる(縄文時代)
そこに徐福ら中国朝鮮系渡来人が加わり国をまとめる=大和王権邪馬台国=大和王国で対立していた狗奴国は出雲王国側
(弥生時代)
そこに弓月君率いる秦氏たちユダヤ系渡来人が加わる=日ユ同祖(古墳・飛鳥時代)
クナトは国常立尊で艮の金神そのため北東に封じられてるため鬼門が北東とされている
彼らの一族は幸の神(さいのかみ)として祀られる
クナト王とサイヒメの子が猿田彦大神(サルタヒコ)で三位一体
クナト王=シヴァ、サイヒメ=パールバティー、サルタヒコ=ガネーシャの関係性に当てはめられる
1国常立(久那斗大神)
2八島篠
3布葉之文字巧為(主王系図で4代に相当)
4八束水臣津野(主王系図で6代に相当)
5赤衾伊努意保須美比古佐倭気
6八千矛(大国主。主王系図で8代に相当)
7阿遅須枳高日子
8鹽冶毘古能
9速甕之多気佐波夜遅奴美(主王系図で11代に相当)
10甕主彦(主王系図で12代に相当)
11身櫓浪(主王系図で14代に相当)
12遠津山崎帯(主王系図で17代に相当。ここで西出雲王家滅亡)13出雲(神門)振禰(出雲国造家系譜で第11世)
クナトノ大神は日本人全体の先祖にして、神々の親「むすびの神」として神魂神とも呼ばれ、後にイザナギに神名を変えられた
幸姫命(サイヒメ)はチマタの神として、四方八方に伸びる道や太陽の光を表し、ヤマトの三輪山では太陽神として祀られ
後にはイザナミに神名を変えられている
サルタ彦大神はインドの象神・ガネーシャであり、日本神話の猿田彦も鼻の長い天狗のような容姿で表され
村境や峠、境の川橋に祀られ、賊や悪霊を防ぐ道の神とされている
竜神はサイノカミの従属神とされ、出雲族は竜神をワラで作り木に巻き付けて拝むようになりました
巻き付けられた木は御神木とされ「斎の木(ハバキ)」
セグロウミヘビには六角のウロコ模様を持っていたため、出雲で六角形は聖なる形とされ、出雲の神社の神紋に竜鱗紋として使用されています
同じ内容を三島鴨神社も語っていますが、それは三島鴨神社が出雲王国の王族だったから
出雲族は春分・秋分の日を元日として半年を1年と数えたため
年齢は現代人の倍になる
出雲国造家系譜
始祖 天穂日命(あめのほひのみこと)
第2世 武夷鳥命(たけひなどり)
第3世 伊佐我命(イサガノミコト)
第4世 津狭命
第5世 櫛瓺前命(くしみかさき)
第6世 櫛月命
第7世 櫛瓺鳥海命(くしみかとりみ)
第8世 櫛田命(クシナダヒメ)
第9世 知理命
第10世 世毛呂須命
第11世 阿多命 別名:出雲振根
第12世 氏祖命(おほし)初代出雲国造 別名:鵜濡渟(宇迦都久怒)
第13世 襲髄命(そつね)野見宿禰 相撲の元祖
第14世 來日田維命(きひたすみ)別名 岐比佐都美
―野見宿禰 姓氏録に曰く、天穂日命14世孫野見宿禰、菅原氏
第15世 三島足奴命(みしまそまぬ)
第16世 意宇足奴命(おうそまぬ)別命:游宇宿禰
第17世 国造出雲臣宮向 出雲姓を賜わる
第18世 国造出雲臣布奈
第19世 国造出雲臣布禰
第20世 国造出雲臣意波久
第21世 国造出雲臣美許
第22世 国造出雲臣叡屋
第23世 国造出雲臣帯許
第24世 国造出雲臣千国
第25世 国造出雲臣兼連
第26世 国造出雲臣果安
第27世 国造出雲臣広嶋
大名持(オオナムチ)は年長者で大王、少名彦(スクナヒコ)は年少者で副王の役職名
初代大名持:菅之八耳(スサノオ)后「稲田姫」(クシナダヒメ)
6代:八束水臣津野(やつかみおみずぬ)
8代:八千矛(やちほこ/大国主) - 王国最大の繁栄期
17代:山崎帯(やまさきたらし) - この代で王国が終焉を迎えたとされる
